会長コラム

過ぎたるは及ばざるがごとし

私は、上司に「やり過ぎはいけない、ほどほどが良い」と言われていた。孔子の「過ぎたるは及ばざるがごとし」を引き合いにだし、 いつもバランスの重要性を叩き込まれた。

バランス良くと言えば聞こえが良いが、バランスを取るというには、程よい間を取るのであって、人間関係で言えば、 どちらにも嫌われない八方美人になれということだ。

今でもそう変わっていないが、若い頃の私は、このバランスを取ることほど嫌いな考えはなかった。「過ぎたるは及ばざるがごとし」 というのは、個性を殺せと言っているように聞こえるのだ。

日本人は、曖昧で、ほどほどで、玉虫色の決着を好む。この典型的な考えの下で育ったせいか、 いつもどっちつかずのフラストレーションが溜まっていた。両方の意見を単純に2で割ったような考えは、 リーダがリーダシップを取っているとは思えない。昔の長老政治のように、「まぁまぁ」と言ってそれぞれをなだめるような裁定をするのは、 リーダではなく、単なる行司役だ。

行司役は、リーダではなく、中立を好み、敵を作らない振り子の役目であって、行司そのものに考えが無いのである。 行司が考えをもってしまうと、左右のバランスが崩れ、一方から批判が起き収拾がつかなくなる。

いつも、これで良いのかという思いだった。自分を殺し、過去の産物を引きずっていくため、複雑で判り難い制度を生うことになり、 最後の逃げ道は曖昧でどうとも取れる落とし所を用意しておく。

その結果、出る杭は叩かれる文化が出来上がる。やれば、やり過ぎと言われ、新しい考えを導入しようとすれば、 過去の資産を考えろと言われる。急いでやれば、慌てるなと言われ、提案をすれば、「ちょっと待った」と言われる。

せっかちな自分にはむいていなかったのかもしれない。

部下の成長は、上司との出会いが大きい。年功序列が崩れた現代社会では、年下の有能な部下が現れると、 ライバルが出来たかのように捉える人がいる。そのような上司と出会えば、短所と長所をひっくり返して指摘されることになってしまう。

例えば、スピード感のある人は、もっと慎重かつ丁寧にと言われ、できるだけ丁寧にじっくりと仕上げた資料を持っていけば、 何でもっと早く見せないのかと叱られ  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2005年4月29日
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