会長コラム

濡れ衣を着せられる

沖縄戦において、座間味島の戦隊長だった梅澤隊長命令による住民の集団自決は、ノーベル平和賞を受賞した大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって書かれている。

梅澤氏らは、事実無根として、大江氏らを名誉棄損で訴えた裁判が続いている。

この件を取材したジャーナリストの桜井よしこさんの記事が、2007年1月発売の「週刊新潮」に掲載されていた。

記事によると、『いよいよ明日にも敵が上陸という20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった』とある。

「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」と助役が言ったとされている。

梅澤氏は驚いた。

助役は「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」と続ける。

「そんなことは出来ない」と梅澤氏。

「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と助役。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ。食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」と梅澤氏は5人に諭した。

翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。

寝耳に水の報道が梅澤氏を襲ったのは、戦後暫く経ってからだった。彼は、濡れ衣を着せられたのだった。

あの日から43年後の昭和63年、梅澤氏は沖縄慰霊の旅で、一人の女性と出会う。

女性は「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。そ  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2008年7月26日
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