会長コラム

縁起の法則

私は、決して熱心な仏教徒ではない。だが、書物として、仏教に限らず、キリスト教も含め、様々な宗教観を知るために宗教書を読むことは重要だと思っている。

もし、多くの宗教家や、熱心な宗教徒が、自分が信仰している宗教以外のことも学ぶことをすれば、世界中で発生している多くの宗教戦争は少なくなるだろう。宗教の問題は、他の宗教を認めないことだから。だから、私は、どれが正しいくて、どれは違うという議論は意味がないと考えている。

それぞれが、自分を磨き、教養を高めるために、宗教に関わらず、様々な書を手に取り、その中で、感じたこと、感銘をしたことを自分自身が取捨選択すれば良いのである。

『これがあるとき、かれがある。これが生じるとき、かれが生じる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する』とは、ブッタ(釈迦)の言葉である。

ブッタのこの考えは、『縁起の法則』と呼ばれ、仏教の基本思想となっている。

縁起とは、因縁生起(いんねんしょうき)の縁と起を取った略である。生起とは物事が起こること、事象のことで、因とは、事象が起こる直接の原因で、縁とは外的・間接的な原因を示している。

ブッタは、世の中で起こる全ての事象は、この因と縁とが関係しあって、生起しているということを悟ったのである。

言い換えれば、起こった事象には、必ず原因があり、一見直接の原因とは関係のない出会いや別れなどの縁起にも因果関係があるというものである。

多くの社長室を訪れると、縁起物や神棚があるのを見かける。私は、神頼みは好きでない。だから、わが社には神棚もなければ、縁起物を置いたりもしないが、決して神棚がある人を批判するつもりはない。

社長ともなれば、縁起を大切に、何かにすがりたくなる気持ちがあるのは十分に理解できる。

しかし、私が、神棚や縁起物を置いたりしないのは、縁起に関する考え方が違うからである。

私の縁起の法則は、人との出会いと別れである。縁起の全ては、この世に生きている人間との関係であると考えている。だから、偶像化した縁起物や、霊や魂のようなものは、私の縁起の対象ではないのだ。

私は、経営者になって、強く  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2008年7月30日
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