会長コラム
聴覚障害者の苦悩
以前、養護学校の先生に、目が見えない視覚障害者と、耳が聞こえない聴覚障害者、どちらが社会への適応性が高いか尋ねたことがある。
生まれながら目が見えない人と、生まれながら耳が聞こえない人、どちも大変な障害である。もし、自分が、今、目が見えなくなったらと考えると、耳が聞こえなくなるほうがまだマシかと考えてしまう。
しかし、これは、健常者の論理である。
そして、また障害者を知らないからでもある。
生まれながら目が見えない人と、生まれながら耳が聞こえない人とでは、脳の働き、発達に大きな違いがある。
目が見えない人は、目の代わりに耳が発達する。ところが、耳が聞こえないからと言って、目が代わりに発達する訳ではない。
生まれながらに耳が聞こえないと、言語能力の発育を遅らせ、コミュニケーション能力に支障を来たす。そのため、思考が成り立たなくなり、同時に情緒や推理力・判断力に影響を及ぼす。人間は、言語によるコミュニケーションにより、脳が鍛えられ、活性化させられ、他の動物と違って、感情や推論などができるようになるのだ。
つまり、耳の発達は、脳の発達に大きく影響するのである。
我々のような健常者は、目も見え、耳も聞こえ、既に脳の発達も遂げたものである。全てが備えている人だから、最も情報量が多く、動くことに必要な目が最も重要だと考える。
今、こうして見えているものが見えなくなることは、とても耐え難いものである。だから、まだ目さえ見えれば、耳が聞こえなくても、思うのは当然なことかも知れない。
だが、耳が聞こえないことがどれだけ不自由なことなのかはあまり理解されていない。
目が見えない人は、杖を持つことで、自分は視覚障害者であることを周囲の人に示すことができる。
しかし、耳の聞こえない聴覚障害者は、見た目は健常者である。だから、彼らが障害者だとは誰も気づかない。障害者にとって、障害者だと理解されないことは、障害を持つこと以上に辛いことである。
先日、私は、デパートの駐車場で、一人の女性が車と接触事故に遭うところを目撃した。
若いヤンキーの男が運転する車が、前を ........
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