会長コラム
異文化コミュニケーション
私が初めてベトナムを訪れたのは、今から10年前の1998年11月。当時のベトナムは、静かで、大昔の日本を見ているようだった。私は、その前の年、初めて中国・上海に訪れていた。ベトナム・ホーチミンは、上海の爆発的とも言える発展に比べ、穏やかで、そこに住む人々の笑顔が、とても素直で実直に感じた。
街には、シクロという人力車が溢れ、三角のすげがさをかぶって天秤かついで物売りをする人が沢山いた。人懐こい10歳ほどの少女が花を売りに近寄ってきた。
「いらない」と断ると、悲しそうな顔をして諦めて行った。裸足のその少女の背中姿は、とても寂しそうに見えた。
それから7年が過ぎた。
街には、驚くほどのオートバイが増えていた。今から3年前である。中心部のドンコイ通りには、多くの日本人観光客が訪れ、レタントンという日本人街ができていた。
また、人懐こい10歳ほどの少女が花を売りに近寄ってきた。
「いらない」と断ると、何度も何度もしつこく追いかけてきた。何度も無視をすると、すぐに他の外国人に声をかけに向かって行った。
それから1年後、ホーチミンに現地法人のライジングマスターを設立した。
この国に住む若さとエネルギー、この街の活気と、熱気、急速に発展する姿に驚きを感じた。そして、魅力も。
妹に責任者を任せ、全く何もないところから、事務所探しから、採用までゼロから立ち上げてもらった。妹と二人で、初めてテト(旧正月)を見たとき、国ぐるみの騒ぎに、この国の恐ろしさを初めて感じた。
妹と私の前に、人懐こい10歳ほどの少女が花を売りに近寄ってきた。
「いらない」と断ると、何度も何度もしつこく追いかけてきた。何度も無視をすると、不満げに怒っている。「いらない」と叱ると、背中をバンと叩いて、捨て台詞を言って去って行った。
この年、オートバイの渋滞を緩和するため、シクロの市内乗り入れが全面禁止された。
それから2年が経とうしている。もうシクロは見かけないが、益々渋滞は激しくなった。事故の多さからか、規則を守らないベトナム人でさえ全員ヘルメットを着用するようになった。
先月ドンコイ通り ........
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この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。
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