会長コラム

辛抱と我慢

仏教では、この世に生を受けこの世を去る時まで、心を修める一生のさだめ(法)を、心法と言う。この心法が、辛抱の語源らしい。

辛抱とは、辛いことや苦しいことを、堪え忍ぶことと辞書にある。

私は、自分で言うのも変だが、辛抱強いと思っている。

しかし、耐え忍ぶ力が強いかと言われるとそうでもない。辛いことや苦しいこと、そのような場面から、何とかして抜け出そうとし、抜け出せるまでの辛抱強さがある。抜け出そうと、もがいている時は、辛いし苦しいが、何もせずに耐え忍んでいるよりは遥かに前向きである。

だから、私にとって、辛抱とは、未来への生みの辛さのようなものだと認識している。

それに対し、同じ意味の言葉に、我慢という言葉がある。我慢とは、辛いこと、苦しいことに耐え忍ぶという意味で、それだけでは辛抱と全く同じである。

ちなみに、我慢も仏教用語である。辞書には、我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ることとある。

私にとって我慢という言葉は、辛抱のそれと反し、後ろ向きであり、もがくことを抑えられようとする印象がある。

私の最も苦手なことが、我慢できないことである。つまり、辛抱強いが、我慢強くないのである。

辛抱と我慢、この違いを理解できるだろうか。

一言でいえば、私には、辛抱の先には未来が見えるが、我慢の先には不満しか見えないのだ。

未来が見えるものに対しては、私はそのためには何とかしようと、辛いこと、苦しいことに耐え、何とか抜け出そうと必死になれる。

しかし、未来が描けないものに対しては、我慢ならない。

自分自身が、我慢できない人間だから、立派なことは言えないが、我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごるような態度には、我慢ならん。

はっきり言って、私は、我に執着し、自分本位に、辛いだ、苦しいだと訴えてくる者には、容赦なく引導を渡す。その我慢ならない態度に、私は耐え忍ぶことは全くできないのだ。だから、我慢強くない。

時々、「そんなにカッカしないで我慢すれば」と言われるが、私にはできない。  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2009年8月 1日
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