会長コラム

経験者の声に耳を傾ける

ある事象を経験した人は、その事象がどれほどの苦労、苦悩、苦痛を伴うものなのかを頭で、体で、体得している。

その事象によって、どんな苦労をもたらし、どのような苦悩と苦痛を伴うものなのか把握しているということは、そのことがどんなにも酷く辛いものであたとしても、それを一度も経験したことがない人には全く判らない。

全く判らないということは、知らぬが仏ということで、知らないほうがましだということである。本人に起こり得ることを知らせない方が良いという場合、周囲の者が、詮索などしない方が万事うまくいくという場合に用いられる。人の経験をあてにしないほうが、余計な不安ももたず、他人が経験した方法とは別の対策が講じられるかも知れないのだ。

だが、経験した人の話も知らないということは、大概の場合、呑気に知らぬが仏などと言っていられる場合ではないのである。

私のような戦争を知らない世代にとって、どんなに戦争を経験した人の話を聞いても、本当の恐ろしさや、悲惨さなどは頭では判っていても、自分の身に降りかかるような恐怖感までには至らないことであろう。

それでも、戦争を知らない世代は、戦争を知っている世代の話を聞くことで、二度と戦争を起こしては行けないということぐらいは、教えられ、頭では理解できるはずだ。しかし、経験していないということは、頭では判っていても、痛みということを体では判っていない。

また別の見方をすれば、経験していないということは、どんな恐怖なのか判らないからこそ、怯えるということもあり得る。小さな子供が注射をする時のような場面である。私の長女が幼稚園に入学する前、予防接種の注射があった。その時の様子を『娘の卒業式』の中で、次のように書いている。

「なぜ注射が嫌なの」

「痛いと思っているみたいだね」

「注射は痛いの?」と不安そうに尋ねる娘。

「痛いよ」と私は応えた。

「どうして注射をするの」

「病気にならないようにする  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2009年8月17日
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