会長コラム

リーダーの意気地

『浮けば飛ぶような 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え 生まれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地』は、村田英雄の王将の一節である。

"俺らの意気地"とあるが、これは何と読むであろう。

"いきじ"と読む。

参考までに、"いきじ"と入力して漢字変換しても、"意気地"は出てこない。

"いきじ"とは、自分の意気込みを意地を通して示そうとする生きる様を表している。

つまり、"俺らの意気地"とは、簡単にいえば、俺らの強い生き様と言い換えられる。

ところが、世の中には、強い意志を持った生き方の人ばかりではない。その逆に、弱い意志、あるいは意志のないような人もいる。そのような人を総称して、意気地なしという言葉が生まれた。元々、意気地というのは、あるということが前提になっている言葉だから、意気地があるという表現はしない。

ある説によると、意気地なしという言い方が生まれた頃から、"いくじなし"と変化したそうだ。現在では、"いきじ"ではなく、"いくじ"と入力しなければ、"意気地"が出てこない。

辞書で意気地無しを調べると、"気力がなくて、役に立たないこと"とある。

意気地が、自分の意気込みを意地を通して示そうとする生きる様であるとするのならば、それが無い人は、気力がなくて、役に立たない人ということになる。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

逞しき意思、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や猜疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2009年8月27日
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