会長コラム

穏やかなヤンゴン

今ではすっかり世界中で最も好きな街の一つとなったヤンゴン。私は、約3ヵ月にぶりにミャンマーに来た。懐かしい感じさえ覚えるほどに、この穏やかな雰囲気にほれ込んだ。

「日本のほうが遥かに窮屈ではないかとさえ思う。街のあちこにに立つ金色のバコダは、天国を演出しているかのように思う。もしここが天国であるならば、日本は地獄かとさえ考えてしまう。」

そう書いたのは、今年3月に訪れた時に書いた『人生の峠に立ち』での一文である。

バコダと見ていると、なぜか心が落ち着く。

私がこれまで訪れた世界中の国々で、これほどまでに時間が止まったようなノスタルジックさを感じるところはない。ある意味で、不思議な場所だ。

そして、最も魅力的なところは、この街で生まれ、育ち、暮らしている人々の優しい笑顔と、優しく接する心の余裕がある人々が多いというところである。驚くほどに、良い人ばかりである。

何か、ミャンマーの外からやってきた先進国の人間のほうが、遥かに荒(すさ)んでいるようである。

荒(すさ)むとは、荒れ果てているという意味である。

心が荒むというのは、心が荒れ果てているということ。つまり、荒れて、尽き果てることであり、心の中が、戦後の焼け野原のような状態だ。激しい空襲を受け、何もかもこっぱ微塵に焼き尽くされたような状態だ。

そのような荒んだ状態と対極的にあるのが、このミャンマーの人々の優しさである。

軍事政権により、厳しい生活を虐げられているのに、なぜ、心が、荒まないのであろう。かつては東南アジアの先頭に立とうした時期もあったのに、街中の建物は、まさに荒廃し、物質面を見る限り、時間と共に衰退しているのが良く判る。それなのに、なぜ。

発展途上国というのは、発展途上の国であって、少しづつでも発展しつつある国であるが、ここミャンマーは、後進国というよりも、後退国と言っていいほどに段々と豊かさが後退して言っている感じだ。それなのに、なぜ。

日本は、どうか。

心のほうが先に荒み、荒れて、尽き果てるかのような状態になりつつある。なぜか。

ここにいると、そんなことを考えてしまう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2009年9月 8日
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