会長コラム

批判からは何も生み出せない

否定をするということは、拒否をすること、受け入れないこと、認めないことである。否定をするということは、否定をする材料がないと否定できない。

材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。

アメリカの大統領には、拒否権というのがある。連邦議会の両院を通過した法案に、大統領は拒否権を発動し、法案の内容を再検討するように連邦議会に差し戻すことができるのだ。

大統領は、施政方針演説を通じて、議会に法案を検討させる。その法案が大統領の施政方針に沿っていなければ、議会が提出した法案は行政の責任者である大統領の考えにそぐわないとして拒否される。

つまり、議会は、方針があって、それに従い、案を作成する。大統領は、方針を示している訳だから、その方針通りでなければ、当然拒否することができるという訳である。

大統領にとって、法案が材料である。この材料は、議会が用意する。そして、その材料を肯定するか、否定するかは、大統領のみの権限なのである。

さて、我々は大統領ではない。

一般的な話をしよう。

材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。大統領でもあるまいし、自分で材料を用意したのでもないのに、簡単に拒否するというようなことはないか。

人間は、いつもいつも否定することを繰り返していると、肯定することができなくなるようだ。

とりあえず、否定しておく、というようになる。それは、肯定の案が通ったとしても、自分は否定意見を述べたということであり、すなわち肯定の案は、自分の考えではないということを名言するためだ。

政権でもそうだが、そのようなことを繰り返していると、いざ、材料を出す側に回っても、陳腐な考えしか出せなくなってしまうものだ。

やがて、気づくだろう。

材料を出す側よりも、否定する側にいたほうがどれだけ楽なことかと。

すると、人間は、批評することで、自分の存在意義を表  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年1月11日
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