会長コラム

我関せず火中の栗を拾えないリーダー

『石橋を叩いて渡らないような情けないリーダーは、決して火中に飛び込もうとしない。自分に災いがふりかかるのを恐れているからだ。私は、この考えが大嫌いだ。』とは、私が書いた『火中の栗を拾う』の一文である。

進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーである。しかし、実際には、火中の栗を拾うリーダーは少ない。

火中の栗を拾うとは、辞書によると、他人の利益のためにあぶないことをするとある。つまり、自分のためにではなく、他人のために危険を覚悟の上で、飛び込むことを表しているのだ。

私が言う、進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーだというのは、部下や組織のために、危険を覚悟の上で、飛び込むことを意味している。

だが、気になる点が一点ある。他の辞書と異なって、広辞苑には、他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと、とある。他の辞書にはない"ばかなめにあうこと"というのが付け加えられているのだ。

"ばかなめにあうこと"というのを前提に考えれば、火中の栗を拾うことは、馬鹿げたことだとなる。だから、火中の栗を拾うようなことはしないほうが良いという解釈である。

元々、火中の栗を拾うという言葉は、猿におだてられた猫が、いろりの中の栗を拾って大やけどをしたという寓話から生まれたもの。だから、他人におだてられて、火の中の栗を拾うとすると、ばかなめにあうというのが、本来の意味である。そういう意味で、広辞苑の内容が正しいのであろう。

広辞苑にある"ばかなめにあうこと"ということが、火中の栗を拾うというのは、愚かなことだと理解されているのであろう。

さて、私はここで言葉の意味を論じるつもりはない。

私が言いたいのは、例え愚かだと言われようとも、例えおだてられようとも、部下や組織のため、利益をもたらすために、危険を覚悟の上で、飛び込むことのがリーダーだということが言いたい。

おだてられようが、おだてられまいが、部下や組織のために、そこに栗があるのなら、やけどを覚悟の上で、必死で拾わなければならないのである。

逆に言えば、部下をおだてて、火中の栗を拾わせるようなリーダーであってはな  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年1月17日
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