会長コラム

悪口や愚痴を言わない

今から12年前の1998年2月、長野で冬季オリンピックが開催された。それからさらに12年前の1986年4月、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。私が社会人になった年だ。

私の父は、寅年生まれ。生きていれば、今年で72才になる。父が亡くなって、今日で14年が経った。父は、満60才の寅年を迎えることなく、59才で逝った。

平成8年1月5日、正月明け早々に、自社さ連立政権の村山富一首相が退陣を表明した。父が亡くなる20日前の出来事だ。村山富一は、大正生まれとしては最後の内閣総理大臣で、1955年の自民党誕生から現在まで自民党籍になったことがない唯一の内閣総理大臣でもある。

そして、今年、父は、年男である寅年を迎えた。

さて、2010年の寅年は、猛虎の如く勢いある年になると良いのだが。

父は亡くなる前、私に『大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな』と言っていた。あれほど私に厳しかった親父が、優しくなっていた。

『私の父は、柔道をやっていたので、幼少の頃に叱られると、必ず投げ飛ばされていた。それでも、勝気な私は、親父に向かって行って、母に止められるまで投げ飛ばされた。』、これは『柔よく剛を制す』の中で父のことを書いた一文である。

そして、父の『存在意義』が大きいことは、亡くなってから知った。

14年前、父が亡くなった日の夜、私は家族に「親父のように他人の悪口を言わないようにしよう」と誓った。

父は、何でも背負い込むような性格だった。普段は物静かで、口数は少ないほうだ。そんな父だったが、亡くなってから、父の以外な面を知った。

父の同僚から聞く父親の姿は、家庭の中とはまるで異なっていた。

父が、県の代表として、全国会議に参加した時のこと。「折角、出席したのだから、県をアピールする意味でも、何か言おう」と、全国の代表者の前で、進んで持論を展開したそうだ。

私が知っている父の姿とは違った。

そして、私だったら、同じことができただろうかと、頭を抱えてしまった。

さらに、同僚との忘年会でのこと。父は、腹を出して、替え歌を歌い、爆笑の渦に包み込んだそうだ。<  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年1月25日
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