会長コラム

辛と幸

『私には、辛抱の先には未来が見えるが、我慢の先には不満しか見えないのだ。未来が見えるものに対しては、私はそのためには何とかしようと、辛いこと、苦しいことに耐え、何とか抜け出そうと必死になれる。しかし、未来が描けないものに対しては、我慢ならない。』

これは、かつて私が書いた『辛抱と我慢』の一文である。

辛抱と我慢は、共に仏教用語だ。

辛抱とは、この世に生を受けこの世を去る時まで、心を修める一生のさだめ(法)を、心法と言う。この心法が、辛抱の語源らしい。つまり、人生とは、辛抱の連続なのである。

一方、我慢とは、我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ることである。

私は、辛抱は前向きで、我慢は後ろ向きな考えだと単純化して捕らえている。

しかし現実には、辛抱も我慢も、共に辞書にあるように、辛いこと、苦しいことに耐え忍ぶという意味で、どちらも苦痛である。

未来のために辛抱しようとしても、辛いものは辛い。苦しいことは、どんな理由であろうが、前向きであれ、後ろ向きであれ辛い。

経営者は、辛抱と我慢を同時に経験する。

辛くない経営者などいないであろう。だから、なぜ社長の給与が高いのかと聞かれたら、一言で言えば辛いからと答えるかも知れない。それは、社長を経験した人なら皆、そう思うことであろう。

そんな辛さなど、誰でも同じであろうが、との反論も聞こえるかも知れない。

確かに、辛さを他人と比べ、どちらが辛いのかを図っても仕方ない。私が言いたいことは、辛さの重さが、従業員よりも重いということではない。辛さは、誰でも辛いし、重い。

だから、何が従業員とどう辛さが違うということを述べても意味が無い。私は、それを述べて、こんなに辛いのだということを知ってもらうなんて微塵にも思っていない。

恐らく、どんなに辛い材料を論理的に並べても、意味がないことを私は十分に知っている。それは、私がかつて従業員の立場にあったし、社長を支える立場にもあった。

そんな時、様々な社長から社長の苦労話をうんざりするほど聞いてきたが、どんなに聞いても、従業員という  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年2月 2日
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