会長コラム

有言実行

このブログを読んだ人から良く言われることがある。それは「自分のことが書かれているようで」という言葉だ。

私は、そのような時には「その通りです」と答える。

それは、私がこれまで経験したことや、体験したことは、特別なことではなく、どの企業でも起きている普通の出来事だからである。

その普通の出来事の中で、私も含めて生きている。私の会社が特別なのではなく、私の部下が特別なのではない。私は、これまで様々な経営者と出会い、多くの話を見聞きしてきた。

どこでも起きる話をいつも聞いているのだ。

京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てるさしがある。天橋立である。

なぜ天橋立なのか。天橋立とは、天に昇る、天へ繋がる橋のように見えるから天橋立というのだ。だが、実際に訪れてみると、天へ繋がる橋には到底見えない。

見るには、北側の傘松公園から股の下から見なければ見えないのだ。人が逆さになって見ると、天に架かる橋のように見えるのである。誰が最初に始めたことやら。

天橋立のように、逆さまになって見ないと、見えないことがある。

それが、「自分のことが書かれているようで」の回答である。

私は、このブログを書くとき、二つの視線で考える。

一つは、末端の社員の視線。かつて自分が末端の社員であったことを振り返り、あの時に能無しだと思った上司や、無気力な経営者に対する不満について、現在という現実に照らし合わせて書いている。

そしてもう一つの視線は、無能な自分自身。自分を逆さまから見て、やれていると思うことを、出来ていないじゃないかという視点を持つことで、現在起きている事象について、反感を持って書いている。

この二つの視点は、天橋立を股の下から見るような考え方である。

ごく普通の出来事の中で、普通の経営者が普通の考えることを、普通でないと逆さまな視点を持って書いているに過ぎない。そうしないと、普通のことに気がつかないのだ。

普通の橋が、天へ繋がる橋のように見えるは股の下から見るのであって、普通にやっていると思われることが、実は、末端の社員の気持ちで考えれば、能  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年2月 4日
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