会長コラム

一人で出来ることなど高が知れている

私が起業した年の元日、『私の目指す組織』の中で、『"真の友"となれる、人生観や価値観といった難しいものだけでなく、遊び仲間や、飲み友達など、何かひとつでも友人として、会社や仕事を離れても付き合える友とタッグを組みたい。』と書いた。

私はそれ以来、社員を単なる部下としてではなく、仲間として意識するようにした。

彼らとは、時には大いに遊び、大声で笑う。私にとって仲間とは、仕事を離れても付き合える友のことである。そのような人たちでチームを構成できれば、それほど頼もしいことはない。

『晴天の部下と雨天の部下』の中で、『私は、晴天の部下にも雨天の部下も排除しない。しかし、雨天の部下こそ真の部下として、決して苦労はさせるが不幸にはしないと誓う。そして、雨天の部下が、将来上司になった時、私はその上司の下で支え、恩返しをしたいと考えている。』と書いた。

私にとって、雨天の部下は、部下という前に仲間だ。ともに苦しみも悲しみも、あるいは楽しみも分かち合える仲間である。

私の仲間は、皆、私よりも優れた能力を持っている。有能で馬力も、体力もある。私の足りない分を彼らはいつも補ってくれている。そして、私も彼らの足りない分を補い、彼らと共に成長したいと考えているのだ。

『自分と同じ時は、自分より上。自分より下の時は、自分と同じ。自分より上の時は、ずっと上。』とは、『自分と同じ時は自分より上』で書いた言葉だ。

つまり、自分より下などいないのである。自分の存在など高が知れているのだ。

高が知れているという高とは、大した高さではないという意味だ。自分のほうが高い、上だと思った時点で、その人の成長は止まっている。まさに、そのような人こそ、人間として高が知れているのである。

『私は身の程を知っている』。つまり、高が知れているということを十分に認識しているということである。だからこそ、私は仲間を大切にしたい。そして、新しい仲間が増える『出会いを求めて生きる』のだ。

『私は、組織創りこそが経営だと思っている。どのような組織を、どのような方法で創りだすことができるか、これが経営である。』と『組織創りこそが経営だ』の中で述べた。

私  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年2月18日
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