会長コラム

反省のない成長はない

今あるこの苦しみは結果であって、それには必ず原因がある。この世で起こることで、原因のない結果はない。これは、仏教が説いている因・縁・果・報。

私はこのことを『これがあるとき、かれがある。これが生じるとき、かれが生じる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する』と釈迦の言葉を『縁起の法則』の中で紹介した。

因は、直接の原因のことであり、縁とは、間接の原因のことである。因と縁という直接・間接を問わずこの二つの原因のことを因縁と言い、全ての現象は、この因縁によって結果がもたらせられる。

つまり、原因によって結果があり、結果には必ず原因があるというものである。

果とは、結果のことであり、報とは、報いである。つまり、良い結果には良い報いを、悪い結果には、悪い報いを、身に受けるのである。結果によって報われることを果報という。

事件や現象などが発生し、それに対して心の中に様々な感情が起こることを、生起という。

因縁によって生まれ起こることを因縁生起という。因縁生起という言葉から略して生まれたのが、縁起である。

私は『出会いを求めて生きる』の中で書いたように、様々な出会いがあった。出会いによって、嬉しい出来事も、悲しい出来事もあろう。その出来事という結果を招いた原因は、出会いである。出会いがなければ、結果も生じなかったのだ。

私にとって、因縁から生まれ起きたことは出会いであり、出会いこそが、縁起である。縁起の良いのも、悪いのも、自らの行動から生まれた出会いがもらせたのだ。

私はこう考える。原因のない結果はない。そして、それによって起こる様々な感情は、結果によってではなく、元を辿れば、自ら招いた原因の何ものでもない。それが良いことか悪いことかは、自らの縁起による。

これがあるとき、かれがある。これが生じるとき、かれが生じる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する。

その全ては、他に起因するのではなく、自らに起因する。

他人のせいにせず、自分のせいにする。これだけで全ての答えが見えてくる。

しかし、私のような凡人には、そんな簡単なことが簡  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年3月12日
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