会長コラム

父の死と宗教

不のエネルギーに取りつかれたままでいれば、自分だけでなく、周囲にいる人たちを不幸にしてしまうと思いました。そして、胸が詰めつけられるように息苦しくなりました。悲しくなりました。

血の繋がっている息子でありながら、言葉が話せないというだけの理由で、息子の心を理解できなかったのです。

息子一人の心を理解できないような人間が、人の上に立って、多くの人の立場を考え、その人たちの気持ちを理解することなどできるはずもないのです。

息子は、車に乗っても、家に着くまでずっとシクシクと泣いていました。そのシクシクと泣く姿を見て、たまらず涙が止まらなくなりました。

重度の知的障害者でも、人間です。人間には、感情があるのです。そして、心があるのです。

シクシクと泣いている様子を見ながら、それほどまでに彼は何が悲しくて辛いのだろうと考えました。

誤解されて叱られたことが悲しいのだろうか。あるいは、氷の上で転ぶかも知れないという恐怖の中で二時間も我慢したことが、辛かったのだろうかと考えました。

でもずっとシクシクと泣いているのは、きっと自分の心、自分の気持ちが、最も身近で、最も頼りになるはずの自分の父親にさえも通じないということが、とても悲しかったのかも知れないと思いました。

情けなくなりました。悔しくなりました。辛くなりました。

そんな人間が『怒』という名のもとに、他人を批判したり、注意したり、叱ったりすることなどしてはならないのだと痛感したのです。自分の未熟さと、自分の身勝手さに失望したのです。

これからほんの少しづつでも、『怒』を捨てた生き方をしたいと考えています。

しかし、宗教家ではありません。人間がそう簡単に変われないことなど、これまでもここで何度も書いています。そう簡単に変われないのが人間であり、自分も同じであることも十分に知っています。『怒』を捨てるなど、これまで『怒』を中心に語っていたものが、簡単にできるはずがありません。

恐らく、心の中まで変えることはすぐにはできないでしょう。でも、ここで書くという行動くらいは、変えていければと考えています。行動を変えることで、少しでも『怒』を解  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年4月 3日
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