会長コラム

明日からのためにあったと思えば良いのです

生まれながらに障害を持つ息子がいたお陰で、多くの障害者やその親、さらにはボランティアの人たちと出会いました。

もし息子が生まれていなかったら、あるいは健常者として生まれていたら、人生観が変わっていたかも知れません。人間関係、人間付き合い、そして、自分自身の生き方、考え方、さらには死生観まで異なっていたと思います。

正直言って、息子がいなかったらどんなに楽であろうと考えたこともありました。もっともっと自分のための時間が取れるのにとも考えたこともありました。

でも、どんなに"もしも"を考えても現実を変えることはできません。悔やんでも、ましてや彼のせいにしても仕方ありません。誰も悪くないのです。

前向きに生きようと思いました。

障害者の親たちに会うと、「神さまがこの家庭なら大丈夫だとこの子を預けてくれた」ということを良く聞きます。それを聞いて、みんな前向きになろうとしているのだと思うのです。

息子が生まれて最も学んだことは、反省するということでした。

恐らく息子がいなかったら、人の優しさや、弱い人の立場、あるいは懸命に生きようとする人がいることを十分に感じられなかったかも知れません。障害者やボランティアの人との出会いを通じて、そのような人が沢山いることを知るようになりました。

世の中には、やりたくても出来ない人、必死で生きたくても死に近づいている人など、自分ではどうしようもできない人が沢山いるのです。それなのに、健常者は、いつでも、何でも、やりたいこともできるし、話すことも、歩くこともできるのに、やっていないのです。

その都度、もっと弱い人の立場や、本当の人の優しさとは何だろうと考えさせられるようになりました。同時に、直さなければならないところが沢山ある自分の欠点に気づくようになるのでした。如何に反省することが重要なのか、そして、人に反省を押し付けることがいけないのかなどを知ったのです。

ところが、どんなに自分の欠点に気づいても、痛切に反省したとしても、そう簡単に生まれ持った性格や、育った考え方を変えることなどできないのです。人間の意思とは弱いものなのです。

これまで投稿したこのブログの中で、  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年4月21日
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