会長コラム

私は私、あなたはあなた、自分は自分

自分のために生きるというと、自己中心でわがまま、自分勝手という意味に捉えられるかも知れません。

それは違います。自分のために生きることができない人が、他人のために生きることなどできるはずもないのです。

他人のために生きるというといかにも高貴な考え方に思えますが、時には、他人のために生きるというのは、他人に依存して生きるというような弊害だって起こり得るのです。

例えば、結婚して、夫のために仕事を辞める女性がいます。愛する夫のために、夫に尽くし、家事に専念するということ自体は悪いことではありません。

しかし、夫のために行うことのみが生き甲斐となり、あなたのためにと頑張っているということが夫婦関係を息苦しいものにして行くことだってあり得ることでしょう。

夫は妻のために働き、妻は夫を支える、とても微笑ましいことですが、子供が生まれることによってやがてその関係は次第に変化します。妻は子供に掛かりきりになり、夫は子供の成長に合わせるかのように仕事が忙しくなります。

妻は、これまでの「あなた」という対象が夫のためという考えから、子供のためと変わるのです。一方、夫は、妻のためから、家族のためへと変わるのも、それぞれが恩着せがましい関係になってしまうものです。

妻は、子供のためにと必死で頑張ります。やがて子供は大きくなり、母離れできない子供と、子離れできない母親が誕生します。

女性が子供や夫のために生きることを否定している訳ではありません。

他人のために生きるというということが、相手のために良かれと思ったことでも、相互依存の関係なり、自分の生き甲斐に他人を巻き込んで、お互いに自律できない関係になることがあるのです。

自分の人生が、相手のためだけに生きることで、それでも幸せと思えるのならそれでも良いでしょう。しかし、良いという意味は、結局は、それは相手のためではなく、自分のためなのです。相手のためと言いながら、自分が幸せになれるということは、自分のため以外のなにものでもないことでしょう。

しかも、そのように思われて尽くされた相手のほうは、それを幸せと思うかどうかは別物なのです。本当に相手のためというのであれ  ........
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 この続きは、堀田 信弘の公式ブログ「活・喝・勝」 http://hottaworld.com を参照してください。

2010年4月29日
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